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冬野 竜彦    GUITAR

神奈川県  出身

 

音楽関係者はかつてのスポーツマン冬野竜彦 を知らない。

 

その風貌からスポーツが想像できないからだ。

しかしながら、幼少期から動きは機敏で、スポーツ全般的に万能であった。現在でも自称「機敏なxx」を豪語する。

 

音楽への興味はやはり早く、友人とともに中学時代にはギターをかき鳴らす猛獣になっていた。キッス、ストーンズ、クリームと時代の象徴とも言えるロックバンドの影響はもちろん直撃し、早くもロッカーとしての自負を天性と勘違いする。

この頃初めて手にするエフェクターがディストーションであり、鼓膜を直にくすぐる無数の金属の糸、当時不良と呼ばれたエレキが本物に近づいてしまった罪悪感。。。その感動を追い続け、現在の拘りとしてブロックスに繋がり、悪い大人が周囲に多く集まる事になる。

 

高校に入ると、文武両道のモットーを展開し、バスケット部に入部。数々の成績を残したというが、今となってはその体型から誰も信じていない。

その頃クロスオーバーのブームからフュージョンが生まれ、ロックもAORへと分派変遷し、バンド活動もそれまでとは違うシャレたアプローチを探求するようになり、インストバンドやボーカル物など多様なバンドでライブハウスなどの活動を始める。また、各種コンテストにも参加し優秀な成果を収め、横浜界隈ではちょっと有名なバンドにまで成長する。その一つのバンド「イリュージョン」で共にしたメンバーはその後、エイベックスの創始期も共にする事になる。また今回メンバーの高橋、根本も時期は違うが在籍しており現在に至る。

 

バンドの活動が本格化するも、経済的な厳しさを伴い、今になく痩せる思いを経験するが、後にこの反動が暴飲暴食時代を過度に誘因する事になる。

音楽活動ではブルース、ロックを中心に各地のツアーに奔走し、楽曲のアレンジやミックスなどの作業が本格化してきたた頃、エイベックスに入社。レコーディング エンジニアとして数々の作品を手がけると共に、作曲、編曲、原版ディレクターなど要職を担う事となる。

 

音楽制作では、「宇都宮 隆、キーヤキッス、パンクラスのテーマ、セガラリー2のテーマ、吉本女子プロレス」のテーマなどの楽曲を提供し、「m.c.A.T、TRF 、浜崎あゆみ 、dream 、V6 、観月ありさ」などのエイベックスアーティストたちの編曲やリミックスでは、大きな足跡を音楽界に残してきた。

 

その後、2004年に独立しオリゾンテレコードを立ち上げ、エイベックスの経験を活かすと共にトータル的に音楽を見つめ、今もなお数々のアーティストとクオリティの高い作品を世に送り出している。

 

ギタリストとしての活躍ももちろん自身などの楽曲で多くレコーディングしており、プレイヤーとエンジニアの多元的視点からエフェクターの製作も手掛ける。

いまや、スタジオミュージシャンをはじめ、国内外の多くのプロフェッショナルから好評を得ているブロックスのエフェクターは冬野によるプロダクトである。

 

岩﨑 咲  Vocal

東京都 出身

 

今もなお、引っ込み思案の咲は幼い頃から人前で歌う事など出来ない照れ性で、運動会にも出れないほどだった。家族が皆大人しいという訳ではなく、明るい父と母の生活にはいつも音楽が寄り添い、家族が歌を口ずさむ風景は当たり前の日常であった。 人前で歌うという事はなかったが、テレビの歌番組鑑賞は家族の団らんであり、当時の歌番組でも好評を博した「夜もヒッパレ」などは欠かさず録画し、学校から帰るとビデオテープが擦り切れるほど見ては歌ってた。

 

高校になると歌う事は照れに勝り、歌っている時はそのシャイが消えてきた。この頃はじめて人前でうたう機会を得る事により、自分の音楽がそれまで耳にしてきたヒットチャートから少し離れ、音そのものが持つ心地よさを音楽に求めるようになった。 特にアコースティック ギターの弦の響きと共に歌う事が好きで、ノラ・ジョーンズややジャニス・イアンなどを好んで聴き、正に「At seventeen」であった。 訥々と語り、風のように囁く歌は自然そのものであり、咲の性格にフィットしたと言う。

 

大学に入った頃、世の中にはゴスペルのムーブメントが起こり、咲もゴスペルグループに参加する事となる。皆で歌い上げる声のウェーブは体験者ならば誰しも分かる高揚感があり、アメリカで生のゴスペルを経験したいと思った。 思いは叶うもので、ニューヨークに行く機会を得て、本場アメリカで生のゴスペルサウンドを体感し、教会でのライブに参加する事となる。 またジャズにもはじめて触れ、帰国後も大学の友人バンドと共に都内のジャズ系ライブハウスなどで歌っていた。

 

この頃、音楽に触れる機会を多く得ていて、ゴスペル、ジャズ、カントリー、をはじめ、ちょっと懐かしい昭和の名曲達と接する事になる。 北海道の叔父の家に遊びに行っていた時に古いレコードをよく聴かせてもらい、中でも「喝采」の ちあきなおみ の声の虜になり、しみじみと聞き入った。今まで耳にした事のない数々の音楽を吸収した時間であった。

 

社会人になると、新しい環境や忙しさにかまけて歌う機会は遠ざかって行き、音楽の活動にはピリオドを打ってしまった。もちろん音楽を聴く事は日常であり、上原ひろみ、坂本龍一、コリーン・ベイリー・レイやヤエル・ナイムを聴きながら、いつかは、心の合うメンバーに出会い、活動の再開をと思うも、日々の時間は走り抜けて行った。。。

 

咲が「秘密の目標? 」をたてた29歳の誕生日の頃、冬野から音楽制作企画の段階で仮歌録音の依頼を受けることになる。翌日からオリゾンテにて仮のレコーディングが始まり、その時は鼻歌程度で、、、と制作側も軽いジャブを出していたが、咲の素材的な魅力にスタッフも力が入ったと言う。その後1次、2次オーディションまで進むことになり、最終選考にてスタッフ総意により、今回のアズライトに参加する事になった。

 

咲の音楽活動への思いの一つにこんな話をしている。

 

咲は2人姉妹であるが、両親の親友家族の子供達4人と咲姉妹の計6人の兄妹が家族同様として育ってきたという。大人になるにつれ皆離れて暮らすようになり、時間を共にする事も難しくなった。友達達もそうだけど、、、そんな中で、自分が歌を歌っている事で、みんなの側にいることを伝え、これからも集まれる時間を作れる事が出来たらいいなぁ、、、と。

 

音楽の格好良さとかではなく、もっと根源的な家族への思いから始まり、同様に友人に向けられる思いが、岩崎 咲らしい歌に繋がっている。

 

 

 

根本 英一郎  Drums Percussion

神奈川県 出身  

 

歌謡曲全盛期に育った人は皆、その数々の楽曲に音楽教育を受けたことにもなろう。

根本の音楽への興味も同様、時代的洗礼を受け天地真理やフィンガーファイブに始まり、ピンキーとキラーズ、太田裕美。またちょっと大人な感じで近年も欧米でブレイクした「夜明けのスキャット」の由紀さおりなどの時代を象徴する楽曲たちに始まる。洋楽との出会いも早く、地元のレコード店でカーペンターズの「Live in Japan」と出会う事により、その中の何曲かのカヴァー曲でビートルズにも興味を持つ。

 

中学時代、音楽好きの友人と共にバンドを結成するが、楽器を手に入れる事から始まりギターを猛練習。半年後に「Help!」「Hey Jude」「Let it be」などのビートルズナンバーで文化祭デビューを果たす。学校の体育館とは言え、人生のファーストライブは1000人を超える観客を必然動員している。。。

なんと、このライブのキーボード担当が奥様であるということも素晴らしい。

 

高校に入ると、目立ちすぎるギターに引目を感じ、以前から興味を持っていたドラムに転向する。時に根本は膝をたたきながらリズムをとる仕草が印象に残るが、どうやら父上の癖を受け継いでるようである。楽曲はポリス、レッドツェッペリンなどのロックを中心にしたコピーバンドを結成したが、他にもオフコースなどのポップスバンドもやっていた。この頃好きなドラマーは、ポリスのステュアート・コープランド。

 

大学に入り、中学時代の仲間と再会しプロを目指したバンドを結成。リハーサルスタジオ「和田町スタジオ」に出入りし、そこでギターの冬野と出会う事になる。 カシオペアなどのジャパニーズFusion、EW&F等のファンクなど新しい音楽ジャンルに目覚める。また一方では松任谷由実のコピーバンドで学園祭などで演奏。その後も23歳までバンドでプロを目指しライブ活動。

この頃好きなドラマーは、スティーブ・ガッド、林 立夫、山木 秀夫、青山 純 など

 

結婚を機にバンド活動を小休止、しばらくのブランク後、仕事仲間のパーティーでロックの演奏を始め、EW&F、ブルース、AOR、J-POP等のバンドに参加し現在もアクティブにライブ活動を中心に活躍中である。

 

高橋テツヤ BASS

神奈川県 出身

 

幼少期にピアノを習うが才能が無いことに早く気付き、野山を駆け回る普通の少年時代を過ごす。

小学校時は音楽といえばクラッシックや映画のサントラ盤を聴く程度であったがオーケストラの指揮者に憧れた。

中学時代、流行り病のようにフォークギターをかき鳴らす。(高橋の父がバンドマンであったお陰で、楽器だけは家にあったが、非常に高価な物と言われ触らないようにしていたと言うが、今考えればそんなに高価ではなかった、、、聞くところ、レジェンドが多く、機会があったら高橋に直接聞いてみると良い)

 

高校に入り友人の影響でジャズ、フュージョンと出会う。周囲はハードロッカーやパンカーが多く、スタッフやカールトンなど聞いていたお陰でその数人が音楽的孤立。2年時からベースに転向し、その後文化祭でスタンダードやチック コリアなどの楽曲を演奏するが、観客はさみしく教員がほとんどであった。ミュージシャンでは後藤次利氏や岡沢章氏に影響を受け、将来のスタジオミュージシャンに憧れた。

 

進路を分けようという高校最後の頃、横浜の高校生バンドイベントに女性ボーカルのポップスバンドで出演し、ギターの冬野と知り合う。その直後冬野のバンド「イリュージョン」に参加、ドラムスの根本の大学で行われたライブは盛況を博した。世の中はバンドブームであったが、バンドで活動するスタイルではなく単独の営業系ベーシストの活動が始まり、ロックバンドの経験が無いことが不完全燃焼でもあると言う。

また、現メンバーの共通の思い出となる「和田町スタジオ」でのトレーニングは今となってはメンバーの笑える大切な絆である。

 

大学時代、ジャズ研に所属し、ジャズ、フュージョン、プログレに傾倒するが、外の営業バンドではオールディーズ、ファンクと、世に言うディスコミュージックなどをイベントで演奏。またリズム アンド ブルース バンドやサルサバンドに参加しプロのバンド世界を見せつけられた。

高校時代から音楽をやってくるが、どういう訳か体育会系な男の世界の繋がりが多い。他大学サークルの繋がりで営業も増え演奏ジャンルの幅だけが広がるが、その後も恥ずかしい記憶と口を濁す。。。

 

その後は現在に至り都内、横浜を中心に先輩ミュージシャンの叱咤叱責(泣)を受けながらジャズ、フュージョン、ラテン、ボッサなどのバンドでスタジオ、ライブなどに参加、活動を続けている。

 

 

                                     

 

 

< レコーディング サポート ミュージシャン >

坊ノ下 博美 SAX & Flute

大阪府 出身

 

3歳から筝曲を手習い、邦楽(琴、三味線)に浸る日々を過ごし音楽の基礎を和風で学ぶ。吹奏学部で主にユーフォニウムを手にし、その後多様な管楽器プレイヤーと変遷する。


坊ノ下の演奏経歴はオールディーズ ライブハウスの老舗「Kent's」での演奏をはじめ、オールディーズ系、グループサウンズを主に演奏し、営業ではブルーコメッツとも共演、その他ディナーショーなど数多く出演。現在もステージプロとして活躍中。

 

趣味は「音楽と旅」で、先に触れた「楽器の収集」の場合、、、

管楽器はサックス、フルート、、、ん~30本位
琴2面、三味線2挺、バイオリン、チェロドラム、ベース、ギター、エレピ等々、、、


 

< 文  博多 八定 >

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